5.イギリスと濱田庄司先生と国展
一昨年、イギリスのウィンダミア地方にあるブラックウェルという美術館でもって、国展の工芸の展覧会をした話を少ししたいと思います。これは国展の工芸としては全く幸せというか、運がいいというか、驚くべきことでした。このウィンダミアというのは、例のピーターラビットの作者が版権でもって、それを資金としてこの地方を買い取って自然を保つという、イギリス・トラスト運動の発祥の地でもある。ですから非常に景色のいい所です。そこに100年前にある実業家の別荘があったんです。それがこのブラックウエルという建物。その時代のアート&クラフト運動の建築家が作ったのですけれども、その後に、第二次世界大戦があったりして、女子学生の寮になって荒れてたのを、この近年4年間かけて元のままに復原した、そこで国展の展覧会をやらないかという夢のような話が舞い込んできたわけなんです。この年は英国で日本イヤーという催しの年でもありましたけれど、例のバブルがはじけて企業が段々お金を出さなくなってしまっていて、非常に難航していて、招待ということで、こちらはお金を出さなくてもいいということで、話が始まったんですけれども、全くその通りにはいかなかった。
この話の動機というのは、エドワード・ヒューズという陶芸家が国展の会員にいますが、その人の工房兼住まいをそのブラックウェルの館長の、まだその時は館はできていませんが、将来館長になるべきキングという館長さんがやってきて、ヒューズさんの家にあった国展のカタログをたまたま見て、こういう工芸こそ、ブラックウェルの会場にふさわしい工芸だと考えたんです。そして、キング氏の希望といいますと、元の住まいの通りにして、そこに人が家族があたかも住んでいるかの如くに、工芸品を陳列したいというのがキングさんの意図で、それに全くピッタリの工芸が国展の工芸にあると考えたわけです。正式にはBLACKWELL Arts
& Crafts Houseといいます。これは4年かけて一昨年出来上がって、10月の3日秋の初めにオープンしたんで、そこのこけら落しに選んでくれた訳です。
そこに行ってみますと、確かにイギリスの田園風景が広がって、湖が館に迫り、これ以上の工芸を陳列する場所にふさわしい処は望めないという環境です。私達はこういう展覧会がイギリスで行われるということは、古い会員にとっては当然のように濱田庄司先生やバーナード・リーチさんの縁であると考えます。先輩達の、直接ではありませんけれど、導きによってこういう展覧会ができると痛切に考えるわけです。そんなことから、私もセミナーというのがあって、話をしなくてはならなくて、これは困ったことだと思いましたけど、1年かかってどういう話をしようかと悩んで、調べたりしたことがあります。
その中に濱田庄司先生が浮かび上がってくるんですが、古い方々はよくご承知の話ですけれど、1920年、つまり私が生れる2年前、それまで日本に来ていたリーチさんがイギリスに帰る時に、濱田先生に一緒にイギリスに行かないかという誘いがあった。で濱田先生はリーチさんについてイギリスに行った。もうすでに焼物を濱田先生はやっていたし、わざわざイギリスに行って何を勉強するのか疑問に思っていた人もいたみたいですけれども、何で濱田先生はイギリスに行ったのかというのを考えてみますと、もちろんリーチさんに非常に親愛の気持を持っていたことと尊敬していた、そういうことによってリーチさんと一緒に仕事をして、リーチさんからいろんなものを吸収するというのも目的の一つだったと思うんですけど、イギリスへ行って、自分というのはどういう自分であるのか、自分のアイデンティティを確かめたい。その当時の時代背景を考えますと、確かにそういう旅の目的がわかるように思います。
一番ポピュラーなことで言いますと、明治維新以来、日本という国は非常に大急ぎでももってヨーロッパ、アメリカのように追いつこうとしてた、その時代の成熟した文化の落差というものが日本とあまりにも大きかった。そういうことに夏目漱石を始めとして、知識的な人たちの中にも焦りといいいますか、劣等感というか、自信のなさということがあったと思います。濱田先生はイギリスに行く前から、それとは別に自分の中には伝統的な工芸の素地があるという自信があった。そして益子にも行って、地方の良さを知ってるんです。そういう上での話なんですけれど、ともかくイギリスというところに行って、もう一回日本を見直す。さっきのリーチさんと仕事がしたいというこの二つの動機でもって、リーチさんと一緒にイギリスに渡った。そしてセントアイビスというところでリーチさんと陶芸を始めた。濱田先生は、イギリスの田舎、特にその漁村の佇まい、教会を中心にしてそこに生活する人たちの生活ぶり、そういものを目近に見ていて非常に感銘を受ける。
特にリーチさんと一緒に訪ねたエセル・メレーというイギリスの織物工芸の第一人者の生活ぶりに大きな感動を受けました。彼女の生活ぶりというのは、ある統一があって、すべてがバランスが取れている。そして静かである。こういうことが彼女の日々の生活に対する自信となり、土台にあって、もちろん宗教的な信仰もあります。そういう中から彼女の作品が生れているということを実感したんです。スリップウエアというイギリスの伝統的な焼物を使ってメレー夫人が自分で作った料理をご馳走にになったそうです。
この時の話を濱田先生は繰返し繰返し民藝館で何かの折りに話されていて、それだけ若い頃の強い印象に残ったんだと思います。このメレーさんのお宅を訪ねた時以外にも、イギリス人は非常に田舎の暮らしを愛しているということを、濱田先生は感じた。これは濱田先生がイギリスから帰って益子に本拠を持ったということに非常に結びついて考えられます。先程も言いました様に濱田先生はイギリスに行く前から益子に目をつけていたわけですけれど、いよいよ自分の確信というものが、イギリスの生活を通して、再確認、自信を持ったわけです。こういう環境の中から、生活の中から生れる工芸、そういう環境を育てる、あるいは生活を支える、奉仕する工芸、そういうものを自分の仕事にするというのが濱田先生の信念であった。私達後輩の国展工芸は、そういう理念を元に、時代は変わりましたけれど、今日まで続いて来ているのだと思います。
濱田先生のことを柳先生は非常に信頼していました。それは無名の工人達の理想を実現した作品を作る唯一の作者であるということで、濱田先生を信頼していたのです。濱田先生は一番深い美の本質というものは民芸品の中にあるということを素直に理解して、それを自分の作品に表現する作家だった。その点で柳先生の思想に一番近い作家じゃないかと思います。
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