講演「民藝と私」

2003年8月22日民藝夏期学校より

7.プロセスを大事にする。

プロセスのお話をしたいと思います。仕事にはそれぞれ工程、段階というものがあって、そこに全力を尽くす。そうすると非常に解放感がある。職人の生活がそれだ。これは少し誇大に表現したかもしれませんが。

 沖縄の紅型があります。芹沢先生は紅型、それから唐草、こういうものを絶えず話の材料にされました。唐草の方でいいますと、染まっているところと染まらないところの兼ね合い、バランスの良さというものを染物の原点だと言われた。これは近代彫刻もそうです。彫刻というのは空間があって、その中に量、塊があるのが、それまでの彫刻ですけれど、近代彫刻というのは、彫刻作品自体の中に取り込まれた空間、そういう取り込まれた空間も彫刻の一部であって、外なる空間ばかりでなく、内なる空間の量と塊との兼ね合い、バランス、そういうものを発見したのが近代彫刻で、この話となんの関係もありませんけれど。唐草の持っているしっかりした構造のデザイン、このことが唐草模様の型染の生命であると思います。

  もう一つの紅型の方は、芹沢先生は大正3年に、当時、静岡のお茶の組合の仕事をしていて、そこから派遣されて東京の上野の池之端で成婚記念勧業博覧会というものがあったそうです。ご成婚というのは昭和天皇が結婚された時のお祝いで、花電車が出て私もその電車通りまでそれを見に行って、今もバスのような大きな車が全体明るくなって、なんか宣伝やって通りますね。あれ見るとワクワクするんですけれど、ああいうふうなものが当時、花電車だと想像されれば、だいたい間違いないと思いますけれど。街が今よりもはるかに暗かったですからね。その博覧会にお茶の組合の一員として芹沢先生は来たわけで、その時に日本民藝館の前身である、やっぱり日本民藝館という建物がその池之端にできていたんです。それを見て、そこで初めて沖縄の紅型を知って、それが芹沢先生の最初の紅型との出会いなんです。

 昭和13年に日本民藝館の柳宗悦先生を団長とする研修旅行があって、この時に初めて芹沢先生は沖縄に行ったのですが、もうすでに一般には紅型は作られてなかったらしんです。ウチクイという風呂敷の仕事をしている人はいたそうですが、型染の方はあまりなかったらしいんですが、そういう職人に就いてその実技を見聞されたそうです。この紅型というのは型染ですけども、模様の明るさというのが、大きな特色だと思います。これは駒場の民藝館にある紅型が最高の紅型のように思うんです。他のところで見る紅型は同じ紅型でもなんか暗い。

 何でこんなに明るいのか、っていうことなんですが、沖縄というところの明るさというのは、これは結局沖縄の人の体の中にある歌とというか、詩というか、そういうものの、我々にないものがあるのではないか。かつて、琉球大学の集中講義があって私は呼ばれたことがあります。その時は大城志津子さんという優秀な織物作家、国画会の会員でしたけど、亡くなってしまって残念なんですけれど、沖縄の織りの第一人者で、その人が私を呼んでくれたんですが、この講習会の終わった日に打ち上げのコンパをやるわけです。琉球大学には本土から、九州の学生はいっぱいいますけれど、沖縄本島、それから先島からも沢山学生が来ている。そういう人たちが三味線やギターを持っている。今の沖縄のブームの以前のことなんですけれど、そういう時にカチャーシーという踊りをやるわけです。これは即興でやるんですね。そうすると本当の沖縄舞踊の面影のまた面影くらいの微かな、怪しげな踊りをする人もいるけれど、そういう中にリズムというか楽しさというか、そういうものが少々飛躍しますけれど、紅型のもっている楽しさ明るさに通じるんじゃないかと思います。

 今冒頭に言いました、プロセスということなんですが、各工程に全力を尽くすということが大切なんです。そうした時に解放感が生れる。これはもう非常に大事なことだと思います。今、ここにいる、その時に、全力を尽くす。だから紅型で各工程ありますね、布の下ごしらえ、型附けから、ずっと色差し、染め上がって洗うとこまで、いろんな工程があるわけで、その各部分で先のことを悩んだり、前のことをクヨクヨしたり、そういうことはしない。そのとこに集中して全力を尽くす。その時に解放感が生れる。これは一つこれからの人の生き方のキーだと思います。我々は後先のことクヨクヨ考えすぎるんじゃないか。いまやっていることに全力を傾ける。そういう各工程、プロセスを大切にする。職人の仕事はそういうことだと思います。これは非常に大事なことだと思います。

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